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社長の「のぶログ」 2021.08.03

コロナ禍のアメリカ、18ヶ月ぶりの国内出張と3つの災難。

先週、ワシントンDCに出張をした。他州に行くのは実に18ヶ月ぶりとなった。最後のビジネストリップは、最初のロックダウン前のニューヨークで、まだ飛行機のなかでマスクをしているのは私たち日本人だけというような時期だった。一緒に出張をしたアメリカ人のPRスペシャリストに笑われたことを覚えている。今や、その彼女の方が私より分厚いマスクをしている。そう、マスクは既に嘲笑の的ではなくなったのだ。神経質なアジア人の象徴として指をさされていた白いマスクに、もう恥ずかしさはない。

ワシントンDCには、クライアントからの依頼で市場調査に行ったのだが、私の住む南カリフォルアと比較して、物静かな印象を受けた。昔から商売をしている地元で有名なSushi Restaurantを訪れ、話を聞いたところ、ようやく客足が戻ってきたということだった。が、コロナ禍で日本食レストランは減り続けているとのこと。そのあたりは、アジア系住民が少ないことも影響しているのだろうか。

DCに3日もいると、やることがなくなった。官公庁や美術館、図書館などに囲まれたエリアに人が戻っている気配はなく、これ以上探索をしても何も発掘することがないように思えた。DCのクライアントの勧めもあり、ニューヨークで彼のパートナーも交えてミーティングをしようということになり、予定を変更し、アムトラックで移動することにした。3時間程度で、ニューヨークのセントラルステーションに着くという。

渡米して20年以上になるが、アムトラック(全米鉄道旅客公社)を利用するのは初めての経験だった。ネットでチケットを予約し、少しだけわくわくしながら、妻と共に車両に乗り込んだ。日本の新幹線とは比較にならないくらい古い代物で、懐かしさえ感じる。そして、一駅くらい進んだところで、急停車した。アムトラックの車掌の声は、日本とは異なり、感情を露わにしている。すぐに悪いニュースだとわかった。

「少し先の橋で異物が見つかり、点検をしているところです。いつ終わるかはわかりません」。

いつものことなのだろう、動揺する人はいない。日本のJRのように、車掌に食ってかかる人も(おそらく)いない。静かな空間で、しばらく黙って待つしかなさそうだった。15分から20分に一度くらいのタイミングで、アナウンスが流れた。まだ、いつ点検が終わるかわかりません、ということだったが、定期的なアナウンスは心の支えになった。

90分ほど過ぎた頃に、今度は明るい音色の声が聞こえた。内容が分かる前から、うまくいったのだな、車掌がやけに喜んでるな、良かったね、と同情さえ覚えた。感情を素直に出すというのは、良いデザインのように、伝達力を増幅させる効果がある。日本人は感情を素直に表現するのを嫌うが、アメリカ人は本当にわかりやすい。私も、アメリカに住んで、素直な方が何倍もコミュニケーションのスピードとクォリティをあげることができると思うようになった。

予定を90分ほど過ぎて、ニューヨークのセントラルステーションに着いた。一つ目の災難は、そのように難なく終わった。ホテルは、駅から徒歩数分のところに取ってあった。無事チェックインを済ませ、早めに就寝した。翌日、クライアントと会ってアムトラックの話をしたら、それはよくある話だと一蹴された。なるほど、やはりそんなものか。

「ところでホテルの部屋は良かった?」と彼。もともとそのホテルは彼の推薦だったから、気にかけてくれているのだ。

「悪くないけど、とっても上階がうるさいんだ。子供がベッドでジャンプしてるんじゃないかな?」と私。

「それなら部屋を変えてもらうと良いよ。俺は最上階の24階に変えてもらって快適だよ」と彼。

「ニューヨークでは、上階に泊まらないことにしてるんだ。だって火事になったら逃げられないからね」と私は言って、彼は笑った。いくらなんでも考えすぎだよ、というふうに。念の為、他の部屋は空いているかとホテルに訊ねたら、明日になれば空室が出るだろうとのことだった。

「何時になったらわかる?」と私。

「明日の昼くらいに、また聞きにきて」とホテルの仏頂面の女性。

彼は翌日、DCに戻って行き、私たちはブルックリンで別の会議に出席した。そして、ホテルに戻った頃には、すっかっり部屋を交換してもらうことを忘れていた。それが結果的には良かった。あの時、13階か、それより上階に変更されていたらと考えたらぞっとする。

翌日の夕方、2つ目の災難が起きた。唐突に巨大な警告音がホテルに鳴り響いた。

「ホテルの13階付近で火事が起きたから、13階から16階の人たちは避難するように」。

案内の声は明らかに「やばいよ君たち」という不気味な音色で、アムトラックの車掌と比べて、半端ない不機嫌さで迫ってきた。

私は「え?」と耳を疑い、911の被害者を想った。あの日、ビルのセキュリティが誤った安全情報を流し、二次災害を引き起こしたのだ。妻がすぐに避難しようと言った。私たちは4階の部屋にいて、避難対象外だった。すぐに311のドキュメンタリーを思い出した。早く逃げようと言った妻。それほど急ごうとしなかった夫。

貴重品だけをもって、ひとまず避難することにした。エレベーターは既に動いてない。目に映った避難階段の方に向かって、そこを駆け下りようとしたが、すでに多くの客が先を急いでいた。が、幸いまだ渋滞は起きてない。しかし、1階のドアは固く施錠されたままで、私たちは行き先を失った。2階までいったん戻り、そこからもう一つの避難階段に向かい、無事にロビーに降りることができた。

けたたましい音をあげて、ホテルの前に消防車が何台も到着し、ファイヤーファイターたちがロビーに乗り込んできた。今から火と闘ってくれるのだ。私たちは外に出て、騒動を見物する人々の脇を通り過ぎ、道路の反対側に渡ったところで、ホテルの上階に目を向けた。何かが割れる音がして、13階から硝子の欠片が降ってきているところだった。煙は出ているが、火は見えない。

まずは見物人から離れて、ディナーに向かうことにした。残した荷物が全焼したとしても、特に問題はない。数時間後、ホテルに戻った時には、火事はすでになかったことのようになっていた。消防車はなく、誰も火事の話をしていない。日本のホテルなら、マネージャーが方々で謝罪し、説明責任を果たしていることだろう。アメリカのホテルは、よほどの高級ホテルでない限り質が低い。ホスピタリティの業界というより、部屋貸しの業界に成り下がっている。

3つ目の災難は、翌朝、ホテルに隣接するカフェで起きた。若い女性が、丸めた新聞紙に火をつけて放火しようとしたのだ。最初の目撃者になった私たち。タクシーで逃げようとする狂気に満ちた女性。「なんて狂った人ばかりなのか!」と、カフェの店員は叫び、火をもみ消した。その日、その巨大都市から飛行機に乗って避難できることが本当に幸せなことに思えた。ジュラシックパークからテイクオフできる喜び、というような気分と言えばわかってもらえるだろうか。

機内から、ニューヨークに住んでいる友人たちを想った。コロナ禍で深く傷ついた人たち、二度と開店しない店、焦げ臭いコンクリートの街並み。壁の落書きと路上生活者は増え続け、狂った人々は感情を抑えられなくなっている。南カリフォルニアの日差しと大自然が懐かしく思えた。満席の飛行機のなかからでさえ、軽々しく「アメリカは回復にむかっている」とは言えないと思った。

機内で、緩んだマスクの紐を、強く結び直した。

 

 

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