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よほど世間に疎く無い限り、日本の化粧品ブランド「資生堂」の名前は聞いたことがあるはずです。しかし、2022年に創業150周年を迎えることをご存じない方も多いのではないでしょうか。欧米の百貨店ではあまり知られていませんが、実は世界第4位の化粧品会社であり、日本の化粧品ブランドとして最も知られているブランドなのです。アジア各地の高級ホテルでは資生堂のアメニティグッズを無料で提供し、宿泊客に品質と快適さをアピールする所もあるほど、「資生堂」の名前は高く評価され、信頼されています。
※米国のThe JBeauty Collectionが英語で情報発信しているブログシリーズからの翻訳です。
資生堂とは
資生堂は1872年、福原有信が東京・銀座で日本初の洋風調剤薬局として創業しました。日本初の歯磨き粉(1888年)や、125年経った今も愛され続けている化粧水「オイデルミン」(1897年)などがその代表作です。当初から西洋の科学と日本の美意識を融合させたパイオニアであり、日本の消費者のニーズに合うような形で西洋の考えをさりげなく導入しています。1937年には最初の化粧品ラインを発売し、その後、メーキャップ、スキンケア、フレグランス、ヘアケア、ボディケアの分野における日本のトップメーカーとしての地位を確立し、現在もその地位は変わりません。1960年代初頭には欧米にも進出し、1980年代にはブルーミングデールズやブロックなど、米国高級百貨店の専売品として展開しました。
資生堂ブランドカラーの変遷
数十年にわたり、資生堂は最先端の技術と魅力の代名詞となりましたが、そこからさらに変化を続け、「モダン」なライフスタイルを何度も定義しなおしました。資生堂は日本の伝統的な化粧から、西洋のエッセンスもある化粧へのクロスオーバーに重要な役割を果たしました。化粧品は日本女性に自己変革の機会も与え、資生堂はその最前線に立っていました。例えば、1906年、資生堂は日本初の色つき白粉を発売しました。これは鉛を含まず、肌に優しいとされ、従来の日本の化粧に使われていた白っぽいおしろいと大きく異なるものでした。1919年には、洋風のデザイナーズボトルに入った花の香水を発売しました。梅や藤の香りは、日本独特の自然美を感じさせるものでした。1960年代、日本の若者はアメリカのポップカルチャーに憧れ、より現代的なファッションや国際的な価値観を求めるようになりました。資生堂は、赤、黒、白といった日本の伝統的な化粧の色から、「キャンディートーン」(1961年)、「チェリーピンク」(1965年)、「ピンクパウワウ」(1969年)といったピンクやパステル調の色調を訴求していきました。90年代後半から現在にかけては、現在のような「カワイイ」美学が確立され、資生堂のツヤのある頬紅、カラフルな口紅、明るい眉色、キラキラした鮮やかなアイシャドウが人気を博していることがわかります。また、流行は多様化し、OL、ウラハラ、ギャルなどのサブカルチャーが形成され、それぞれの美意識に合わせたブランドやメーキャップラインが誕生しました。
まとめ
それから150年、資生堂は革新と品質にこだわり、新鮮で感動的な体験を提供し続けています。東洋と西洋二つの融合から世界のビューティーシーンに革命を起こしただけでなく、資生堂が不朽の成功を収め続けている理由は、その時代をリードする発想の豊かさと、それを実現する商品力にあるのだと感じます。
※米国のThe JBeauty Collectionが英語で情報発信しているブログシリーズからの翻訳です。前回記事はこちら!
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